見習い錬金術師の冒険奇譚 2-1
普段は昼まで寝ているのがざらなのだが、その日に限って目が覚めたのはまだ明け方だった。彼女にしては珍しいを通り越し、極めて稀だといえる。
朝鳥さえ鳴き始める前、人影もない小さな広場に足を向けたのも気紛れに等しい。
中央にある小さな噴水は、造りのあちらこちらが欠けてしまい、音もなく水をゆっくりと流している。欠けた理由は老朽化と喧嘩の騒動であるが、貧困街の小さな噴水を壊れる度に修理するような世の中であったなら、そもそも貧困街の存在さえ誕生しなかったであろう。
傍らに置かれた長椅子に腰掛け、ぼんやりと宙を見上げ、小さなため息を落とす。
首都アデンで行われる収穫祭が呼び寄せる熱気を理解できないほど精神は破綻していない。が、ここ数日彼女を悩ませている内容は収穫祭とは異なる部分にある。小さなため息も、その悩みのせいである。
「・・・・このままじゃ落第しちゃうなぁ。母様に怒られる」
短めの髪を左手で掻きむしるようにして、視線を落とす。
彼女の名はリュミエール。魔法研究機関である象牙の塔に所属する研究生だ。
それなりに優秀という評価を得ていたはずだが、彼女自身にその自覚は一切ない。俗に言うところの天才肌な為か、理屈を通り越し本能で理解しがちなのだ。結果が全てな部分では上位の成績を残せるのだが、その過程を説明するとなると、「だから、この魔石がぎゅーん!てなって、ぴかぴかっ!てなったら、そこにこの遺産をずずずーんっ!てやるとどかーんっ!てなる!」と、いった具合である。この説明を受けた講師である錬金術師達の眉間に皺が生まれたのは当然であろう。
閃きや思いつきが軸でやらかす事のほとんどが失敗に終わるのは常であるが、彼女の場合はことごとく成功させてしまったので、余計に困惑を招くのだ。
果たして優秀なのか?それとも、幸運の持ち主というだけなのか?
それでも、象牙の塔に居た頃はまだよかった。
感性のまま言葉にして表現するリュミエールの真意を的確に読み取り、実にわかりやすい言葉を用いて過程を纏めてくれる親友がいたのだ。
今ほどその親友ラビエンヌの存在を大きく感じる事はない。
彼女とは同級であり、初めから仲が良かったわけでもなかった。気が付いたら、という表現が一番しっくりくるだろう。研修期間になって離れ離れになってからも、毎日のように連絡を取り合っていた。それがここ数日、ラビエンヌの気配を捕まえる事が出来ない。それもまた、ため息の理由に含まれている。
魔力を扱う者同士であれば、ほんの少しの知識と鍛錬で距離を関係なく意志疎通を図る事が可能だ。『ささやき』などと呼ばれているが、それだって世間に受け入れられたのは五十年程前の話である。象牙の塔とふたつ前のアデン王の手によって広められた『ささやき』は、今では魔法の紙によって相手に送り届けられる便箋と同様、当たり前のものとされている。
ラビエンヌの事が心配だし、自分の行く末も心配だ。
ゆっくりと登り始めた朝日の輝きとは裏腹に、リュミエールの表情は暗く沈んだままであった。
見習い錬金術師の冒険奇譚
1-4
夜更けの暗がりの中、高く聳える城壁の外側に沿って影が三つ、中央に燃える焚火を囲んでいた。三人で囲むには小さな火であるのは、あまり目立ちたくはないからか。
影のうちの一人が手にしていた小さな紙片を、目の前の焚火に放り込んだ。
「今のところ、予定通りだそうだ」
そうか、と別の影が答えた。
もうひとつの影は、いらついたように短剣を地面に突き立てた。
「隊長・・・まだですか?」
短剣を握る指に力を込めながら、影が呟いた。少しばかり震えた声になっているのは、強い感情を押し殺しているかのように感じられた。
紙片を投じた影が、短剣の影に顔を向けた。
黒い外套を頭から覆ったまま、その双眸が静かな眼差しを光らせる。
「我慢しろ。我らが神に奉る供物には、それに相応しい資格が必要だ。誰でもいいのであれば、お前は何も気にすることなく、その短剣を存分に振るう事も出来るが」
双眸の先を焚火へと戻し、隊長と呼ばれた影が続ける。
「こればかりはそうもいかん。元々我らは崇高なる目的の為に地上へと戻った。来たるべきに備え、軍団と息を揃え、この地上を復讐の炎で焼き尽くすために」
わかっている、と短剣の影が言葉を遮る。
この数か月、何度となく繰り返された問答であった。
復讐の炎で地上を焼き尽くすーそのために選び抜かれた斥候隊であった。
かの軍王とまではいかないが、自分達は雑兵とは違う。それなりの手練れで構成されたのであり、その潜在能力は領主が治める程度の街であれば、一晩とかけず陥落せしめるだけの力を保持している。いや、していたのだ。
憎き元同族の森の外れにあった洞窟の地下深くに潜み、地上の状況を探るべく各方面に散っていた同胞が戻った時、全てが一変した。
出迎えたのは、変わり果てた仲間の姿だった。六名ほどは武器すら抜いた気配もなく、十三名は戦闘態勢のまま。だが、どの武器にも相手に傷を負わせた形跡がない。そのうえで、四名は首から切り落とされていたのだ。しかも、傷口はみな同じ武器である事を証明していた。
地上でこんな事を可能とするだけの武人は、そうはいないはずだ。伝え聞く飛龍殺しの騎士モスであっても、こちらが手傷ひとつ与えられないはずはない。だが、残酷な仕打ちを施した敵は、確実に領地を落とすだけの実力者達の命を絶った。しかも、多分たった一人で、だ。
残されたのは五人だけであった。その五人全員が、惨劇が繰り広げられた洞窟の惨状から、一人の男を思い出していた。
地下王国の率いる軍勢の中でも別格の強さを持っていた、あの裏切り者をー。
「この件で、我らは夢にも思わなかった偶然を手に入れようとしている。これが実現し、量産さえ出来るというのであれば、かつて神が愛でた武器さえも手に入れる事も可能かもしれん。そして、そういう事態であればー」
仲間の敵である奴も、引きずり出せるかもしれない。
閃きではあったが、それは確信にさえ近いものであった。
我らが計画の前に奴が立ち塞がるのであれば、その時こそ。
「・・・殺す」
短剣の影が呟いた言葉は、炎に焼かれて鳴った薪の軽い音に紛れた。
見習い錬金術師の冒険奇譚
1-3
「よろしくお願いします」
まだ若い魔法使いがブルディカに頭を下げたのは、象牙の塔の村の宿屋を出てすぐのことである。
「こちらこそ、よろしくお願いする。えっと・・・」
「ウィルと申します」
蒼の皇女が万が一にと、どうしても譲らなかったのがこの魔法使いと共に行動する事であった。もっとも、今回の依頼の内容は象牙の塔の錬金術師が絡んだものである。どれだけ優れた戦士であるブルディカとて、魔法使いを相手にして無事な保証はない。
魔法使いとは、一般には体力が少なく貧弱な印象が強い。概ね、それを否定は出来ないのであるが、その反面、行使する魔法は様々な効果を発揮する。杖の先に光を宿すものもあれば、屈強の相手の命を奪うことも容易い強力な破壊力まで。だからこそ、魔法を使う者が同行していれば、対応策の幅も広がってくるのである。
以前に旅を共にした魔法使いは、象牙の塔より天の位を授けられるほどの天才であったが、目の前の魔法使いは普通に思える。だが、あの蒼の皇女の推薦だ。只者ではないのであろう。
二人は雪の降り続ける村を出て、その足をアデンへと向けた。脚の速い馬を用意したのも、皇女である。
「ブルディカ殿、ひとつお伺いしたいのですが」
「ブルディカでいい」
少し戸惑いながら、はい、と若い魔法使いは続けた。
「私は詳しくお話しを伺っているわけではありませんし、知りたいとも思っておりません。先だっての戦でも、私は後方支援で最後に少し参加した程度です。それでも、象牙の塔の長老タラス様より今回の依頼を成就させるのに必要だと推されて参りました。ラビエンヌは非常に賢い人でしたし、心配もしておりますが・・・彼女はまだ生きているとお思いですか?」
ウィルの疑問はごく普通のものだ。
行方不明となってすでに日数もかなり経過してしまっている。事故であれ事件であれ、発覚してから時間が経てば経つほど、生還の確率は減少していくものだ。
「わからない」
ブルディカは正直な感想を答えた。
「が、最悪の場合であれば皇女自ら動くことはないだろう。あの方が動くということは、つまり、まだラビエンヌという人は生きている可能性が高い、ということさ」
「そうですね、おっしゃる通りです」
ウィルが顔を上げた。
「彼女とは研究を競い合った仲でした。きっと彼女なら・・・」
「それに、申し訳ないが今回は別の人を守護するのが依頼だ。そちらに集中していこう」
緩やかに降り続ける雪の中、二人は馬を急がせた。
二時間ほど夜の街道を南に走ると、雪の代わりに秋の匂いを含んだ微風が吹き始めた。象牙の塔の村があるオーレン地方は一年を通じて雪が降るため、火山の麓に近いウェルダン地方同様、季節感が狂いやすい。だが、そこ以外は当たり前のように四季折々の風景を纏っているのだ。
この速度で向かえば、アデンに着くのは明日の夕刻になるだろう。
収穫祭で大いに盛り上がってるであろう時刻である。
見習い錬金術師の冒険奇譚
1-2
それが何を意味するのか。
この部屋にいる三人の中で最も理解しているのは、ブルディカだけであった。
やはりご存じで、と象牙の塔の幹部長が言った。
「皇帝の石、と呼ばれるそれは、あの場所で採掘される闇の石を究極まで製錬したものと聞きます。その皇帝の石を用いて生成されるものであれば、あの場所を拠点とする闇の種族の方々であれば心当たりがあると思いました。できれば、グランカインの涙とは何なのかを、教えていただいてよろしいでしょうか?」
部屋の中を照らし出す灯りが小さく揺れた。まるでこれから語られるであろう内容に震えてしまったかのように。
ブルディカが蒼き皇女と視線を重ねた。
今はまだ、この王国がとある事実を受け止めることは出来ない状態にある。
だからこそ、赤髪の獅子王と蒼き皇女、その側近の一部にしか知らされていない内容に、グランカインの涙という物質が含まれている。機密事項とされているものを果たして語るだけの必要性がこの時にあるのであろうか?
しばしの沈黙の後、皇女はこくりと頷き、ブルディカが目を閉じた。
「世界には、最高級と呼ばれる代物がいくつもある。だが、そのほとんどは誰にでも作り出すことが出来る。ほんのちょっと、運が良ければいい。それだけだ」
そう言って、ブルディカが寝台に腰を下ろした。
「だが、稀にあるのだ。神がほんの気紛れで、この世界にそれを生み出す事が。本当の、神の領域に存在するものが。繰り返される生命の営みの流れの中で、それを手にしたものは、この世界が生まれてから今まで片手にも満たない。そう言われている」
両手を膝の上で組み、視線を幹部長へと向けている。
「私の種族の多くが崇めているのは、破壊の神だ。私と共に地上に出た同胞はもう改宗したが、今もまだその影響から抜け切れていないのは仕方がない。三百年ほど前に起きた内戦が、我らダークエルフの根源となる。もっとも、その内戦はこちら側の歴史からは抹消されていたが」
商業都市ギランの領主が起こした内戦は、貴族と武芸の街ケントを巻き込み、聖なる森に住まうエルフ族を相手としたものだった。あくまでも平和を望む者達と、武力にて抵抗しようとした者達で二分化されたエルフ族は、聖なる森の三分の一を戦火で失った。抵抗を試みた者達は追い立てられ、オーレンやウッドベック等へ逃げ延びた。そして、砂漠の門より地下世界へと逃れ、復讐に燃える心を破壊の神へと捧げたのだ。暴虐の極みであると当時のアデン王コーラスによってギラン領主は処刑され、残されたエルフ族と不可侵条約を締結。起きてしまった事も、影に蠢いた真実も、全てを含めて歴史から抹消されたのだった。
「グランカインの涙は、神の力を宿した武器を生み出す為に使われる材料のひとつ、とされている。無論、破壊の神の力だが、つまりはそれだけ強力な何かを生み出せるだけの力を秘めている、といえる。人工的に作り出す事は不可能だと思われていたし、少なくとも我らには作り出せなかった。過去三百年を通じて、だ。それがまさか、一介の錬金術師によって成されてしまうとは・・・」
驚きの感情は防ぎようがないだろう。
「破壊神の力を宿す・・・。なるほど、それだけのものとなれば、欲しがる輩は数えきれませんな・・・。そうなると、ブルディカ様にお願いしたい内容が変わってきましたな・・・」
幹部長が寂しくなった脳天に片手を置いて、唸った。
「元々は行方知れずになったラビエンヌの捜索でしたが、それは皇女の方にお願いするとして。ブルディカ様には別の錬金術師を守っていただきたい」
「別の錬金術師?」
「はい、と言ってもまだ見習いなのですが。名をリュミエールと申します」
見習い錬金術師の冒険奇譚
1-1
魔法や魔術の世界を研究・解明する特務機関「象牙の塔」は、王国の主要な街にその研究員を配置し、王国民と接する事で魔法をより身近に感じれるようにしてきた。だからこそ、各街で起きる非日常的な事件や自然現象に関しては迅速に対応も出来ている。
今回の案件が判明したのは配置していた研究員からの定時連絡がなかったからであるが、定時連絡といっても一日二日遅れるのは当たり前な面もあって、早期判明とまではいかなかった。
「まったくもって、申し開きもない」
あははは、と笑顔を見せる事でその答えとしたのは、今ではアデン王国を治める蒼き皇女である。
一年中雪が降る象牙の塔の村の宿屋の二階、その一室。客人が客人な為に、しばらくの間は貸切となり、二階に通じる階段の前には(とてもそうは見えないのだが)さりげなく二人の騎士が見張りをしている。
「それが呼び出された理由だったのかい?」
銀色の短髪に浅黒い肌、鋭い眼差しの青年が聞いた。
「いえ、研究員が一人行方知れずになった程度であなた様を頼るわけにはまいりません。あなた様を頼るだけの理由が他にあるのですよ、ブルディカ様」
「理由、か。それは私が闇の眷属に属する種族であることに関係するのか?」
長い髭を縦に揺らして、無言で深く頷いた。
「行方知れずになった研究員、名をラビエンヌと申します。彼女は配置員としての業務の他に、個人的に研究していたことがありまして。ブルディカ様は我々が神の遺産と呼んでいる魔法石の事はご存じでしょうか?」
「四つの自然属性を司るそれぞれの神、その力に特化した魔法石の事、だったか」
大地を司るマーブル、水を司るエヴァ、火を司るファアグリオ、風を司るサイハ。それぞれに特化した魔力を帯びた魔法石を神の遺産と呼んだのは、数百年前存在した賢者であった。それぞれを使った錬金術の研究は進み、今では様々な品物が開発され活用されている。
「その通り。そして、それぞれの魔法石を凝縮することによって、さらに強力な魔法石を生み出すことに成功しました。属性を司る怪物達の名を冠する魔法石がそれにあたります。そこからさらに何かを生み出せないか?それがラビエンヌの研究でございます」
「その女性が十日ほど行方知れずとなった、と連絡を受けた象牙の塔からの依頼で、王国の警備隊が捜索に出向いたのが五日前よ。そして昨日、警備隊からの報告を受けて初めてわかったことがあったの」
皇女は、そこで言葉を区切った。
「彼女は自らの意思で行方がわからないのではなく、何者かに誘拐された可能性が高い、という報告でございました。彼女が狙われるとすれば、完成に近づいていたあの研究以外に理由が思い浮かびませんでした」
「その研究とは・・・?」
「ゴーレム、フェニックス、アイスクイーン、ドレイク。その心臓と呼ばれる強力な魔法石を生成する過程において溢れ出た魔法力を融合し、これにブラックミスリルを用いて一か所にそれを定着させ、黒い血痕と呼ばれる触媒でとある素材に合成させる事で得られる結晶」
鋭い視線が年老いた幹部長を刺すように見つめた。
「とある素材とは、ブルディカ様の種族のみが扱えると言われる皇帝の石」
まさか、とブルディカがその続きを口にした。
「・・・グランカインの涙、なのか・・・・」
見習い錬金術師の冒険奇譚
序章
キャサリンの店の周囲にも、明日に迫った首都の収穫祭の出店が立ち並び始めていた。今年はしばらく見なかった果物の飲み物の露店も復活するらしく、どの辺りに店を構えるのか注目を集めている。
この夏に起きたアデン全土を巻き込んだ出来事は、その季節特有の熱と融合し、秋風が吹き始めた今でも冷めることがなかった。死の圧政を強いてきた反王の時代を若き赤獅子の王と蒼き皇女が終わらせ、新たな希望の時代を迎えた物語。それについて語るのは、また別の機会となるだろう。
アデンの秋を飾る収穫祭は貿易都市グルーディンを皮切りに、ケント、ギランと続いて首都アデンへと続く。今年の祭りは夏の熱との相乗効果で、例年の二倍の規模になる見込みだそうだ。先に行われた各街の収穫祭もすごい盛り上がりを見せていたらしい。その噂もまた、首都での開催を数日前から賑わせてる要因のひとつであろう。
港に続く大通り沿いにあるキャサリンの店の中、その一角に設けられた陳列棚は、回復や解毒の薬剤を専門に扱うこの店には不釣り合いなものが並べられていた。細かく砕かれた宝石の破片を使った首飾りや、その土台となる部品、そして見慣れない色の輝きを放つ小さな宝玉。
「あの娘、大丈夫かなぁ・・・」
キャサリンがまだ中身を詰めていない硝子瓶を磨きながら呟いた。
その時、店の扉を開けて入ってくる三人の客の姿があった。全員が全身をすっぽりと覆う黒い旅行型の外套に包まれている。
「あなたがリュミエール様か?」
一番前にいた外套がキャサリンに向かって声をかけた。
とんでもない、と顔の前で右手を左右に振った。
「私は代々ここで薬を生業とするキャサリンといいますわ。お探しのリュミエール様は今日はまだ来てないんですけれど、何かお急ぎの御用でしたかしら?」
瓶を磨く作業を止めて、にっこりと笑顔を向けた。
見る限りに怪しい三人組は、互いに顔を見合わせるような仕草をする。
「いや、そういうわけではないのだ。日を改めてお伺いしよう」
失礼した、といって背を向けた三人組をキャサリンが呼び止める。
「あの!お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?!」
会話していた外套が、首だけをキャサリンの方に向けた。
「そうだな・・・。ブルディカ。私の事はそう呼んでくれ」
それだけを言い残して、三人組の姿は扉の外側へ歩み出た。
「そろそろあちら側も動き出すか・・・。どうしたものか」
先頭の外套が呟き、そのまま人混みの中へと消えていった。
秋の収穫祭の開催を前にして、アデンの街はゆっくりと迫っている危機に気がついてはいないようだった。
その証拠に、心地よい秋風が、賑わう人々の間を吹き抜けていた。
雪原の大賢者 ーアデン戦国記異聞録ー
2-4
埃の下から現れたそれは、素人目に見てもそう判断できるものであった。
魔法陣ー未だその全ては解明に至ってはいない。特定の魔法や魔術の効果を増幅したり、継続時間を延長したりする他、異界の存在をこの世界に召喚する際に使用される。崇める神や目的、望む効果によって様式も図式も必要な素材も変わってくるのだが、元々その魔法や魔術の解明自体が進んでないのだから、用いられる魔法陣も同様な結果となっている。魔法研究の機関である『タイタン』がその最先端とも言える部署となるのだが、それでも魔法というものをどれだけ知ったことになるのであろうか。この時代において、すでに忘れ去られてしまった神々もいるというのに・・・。
セマの杖先の明かりが床を照らし出した魔法陣は、所々円形部分と描かれている神聖文字が擦れている。こうなっていては、効果は期待出来ない。
「慈愛の神の神聖文字に見えるけど・・・」
カスパーの意見にセマも同意した。アデンにある慈愛の神アインハザードの聖堂にある紋様を図式とし、平和を祈る円形の図形が魔法陣であると判明したのも『タイタン』の研究の成果であるが、それだって判明したのは約十年ほど前である。以降、魔法陣に関しての研究は飛躍的に進んでいる。
こつん、と小さな音が鳴った。
カスパーがよろめき、杖でその小柄な身体を支えたのだ。
彼の名を呼んで近づこうとしたセマの意識が急激に揺れる。自身の全てから力が抜けていく感覚が、眩暈を引き起こしたのだ。
杖を握る力に集中して理性を保つセマが、どうにか状況を整理しようとする。
今この時点で自分が置かれている状況は、極めて危険だと本能が告げているのだ。身体を襲っている感覚は、内なる魔力と共に生命力までもが何かに吸い取られている証拠であり、一刻も早く現状を脱しなくてはならない。出来なければ、待つのは死である事を直感したのだ。
そしてカスパーもまた、現状を打破すべく思考を巡らせていた。
こうなった原因は何か?
もっとも確率の高い要素である埃に埋もれていた足元の魔法陣は、見るからに機能していない。だが、見えない何かによって魔力のみならず生命力までも吸い取る罠があって、今まさにそれが実行されている。
自分たちの周囲を半透明の薄紫色の光の壁が囲んでいるのをかろうじて開けた片目の視界に確認できたが、自分の生命力を奪われないように意識を集中させ続ける必要もあるため、思考が上手くまとまらない。
「上だっ!」
絶対絶命の窮地にある二人の姿が、開け放たれたままの扉の外から呼ぶ人物の声に気が付いたかどうか。