雪原の大賢者 ーアデン戦国記異聞録ー
序章
その夜の雷雨は、横殴りの風と相まって激しさを増すばかりであった。
手綱を握る手にも、そろそろ力が入らなくなってきている。雨除けの外套を頭から被っているとはいえ、全身を冷たい雨にさらされながらの帰路は、体力の消耗の想定を遥かに超えていたようだ。
時間も深夜に差し掛かろうとする中、自らの領地の深き森を愛馬に跨がり駆け抜けていく。迷うことなく真っ直ぐに屋敷へと向かう愛馬も、その足は徐々に軽快さを欠いていく。走る為に生まれてきた生物とはいえ、長距離の全力疾走に加えての雷雨となれば、致し方ないであろう。
漆黒の闇に支配された森の向こう側に、屋敷の窓の明かりが近づく。くたくたに疲れきった身体とは裏腹に、意識が活性化していくのがわかった。それは、ようやく雷雨から我が家へと逃れることが出来る安心感からくるものではない。
その理由は、彼にはわかっていた。大事そうに外套の下に抱え込んでいる愛用の肩がけの革鞄ーその中身ーこそが、彼の意識を活性化させている理由そのものだ。
屋敷の門を抜け、愛馬から転がり落ちるかのように飛び降りる。手綱を手近の柵に縛り付ける時間さえ惜しみ、彼は勢いそのままに屋敷へと帰還した。
慌てる執事たちを尻目にずぶ濡れの外套を放り投げ、革の鞄を大事そうに両手で抱え込みながら、足早に書庫になっている部屋へと入る。
大きな音と共に書庫の部屋の扉が閉じられた。
この夜を境に、屋敷の主であるヒッター子爵の姿は公の場から消える。
そしてー、月日は流れた。