雪原の大賢者 ーアデン戦国記異聞録ー 

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 魔法研究機関が『タイタン』と命名されたのは、アデン図書館に本拠地を置いてからである。現在のアデン国王コーラスがハイネにあった魔法研究機関を首都へと呼び寄せたのだが、国王自身が生粋の戦士で魔法に縁遠かった事で非常に強い興味を示した事がきっかけだと言われている。その一方で、魔法という存在を軽視せずに脅威であるとみなして監視下に置いたのだ、とも囁かれている。これはコーラス王が優秀な戦士であると同時に頭脳明晰であり、国民から「賢王」と呼ばれ、親しまれている事にもよるのであろう。

 もっとも、事実は王室のみが知るところではあるのだがー。

 設立から百年の歴史を持つ『タイタン』は、アデン領土の各地より集められた才能ある人々で構成されているが、所属しているのは何も人間ばかりではない。長寿であり、平和を愛する種族であるエルフ、鉱物の精製に長けたドワーフも参加している。

 主に精霊と契約を交わし、その精霊の力を具現化する「精霊魔法」に長けているエルフ族が参加し始めたのは、実は近年の事であった。『タイタン』の魔法研究が急激に成果を結び始めたのも、これによる影響が大きい。

 ハイネ時代に機関を束ねていたハーディンというエルフを先頭に、何人かのエルフが今も参加している。アデン図書館に移動し『タイタン』となってからは、機関を離れたハーディンに代わり、タラスというエルフがその代表を務めている。見た目にはまだ二十代に思えるが、実際は八十歳を越えている。

 その『タイタン』は、魔法研究の部門錬金術などの錬成部門とに分かれているのだが、錬成部門に所属する人達は主に学者が多い。逆に魔法研究の部門は学問とは程遠い人材が多く在籍している。古文書や古い歴史書の解読等にはそれなりの学が必要に思えるのだが、実際魔力に優れた人達はほぼ無意識にそれを理解し行使可能な為、あまり学歴を重要とはしない風習にあった。

 カスパーやバルタザールもまた、無意識に魔法を使いこなす方である。

 ただ、無意識に認識している分、他者に対してそれを説明したり指導する、といった事には向いてはいない。魔法を使うという点における核心的な面をどのようにして万人に理解されるよう言葉や文章にしていくかが、『タイタン』の恒久的な目標のひとつである。その点ではセマやオリム、メルキオールは優れていると言ってもいいが、それでも他の天才と比較して、という意味である。

 錬金術等を研究する錬成部門もまた、同じく図書館にその居を置いている。『タイタン』と称されるようになった今の世代は、魔法研究部門と同様に百年に一人と呼ばれるような逸材が揃ってきているというが、それは研究成果にも勿論出てきている。怪物の皮を用いた羊皮紙に限られた魔法を封印し、魔力を行使できない人でも一度限りであるが使うことが出来る「空白の魔法紙」は画期的な発明品である。材料の調達や精製の分量配分の確立もまだ不安定要素が多く、まだまだ実用的とは言い難い。それでも、才能ある人にしか使えなかった魔法が万人に使える、となれば歴史的にも驚異的な発明であるのだ。もっとも、開発者であり錬成部門主任であるチャーリーはオーレン地方に長期出張中である。

 オーレン地方、一年中白雪に包まれるこの地方で発掘された巨大な魔力石の研究解析に『タイタン』から少数の天才が派遣されている。迂闊に動かせば内部に蓄えられている膨大な魔力が暴走する危険性があるとされ、かといって放置するわけにもいかない。なんとか現地で有効活用できないか、と研究をした末に出た結論が「魔力石を研究解析する為の魔法実験場を作る」というものであった。錬成部門が軸となる計画であったが、なぜか魔法部門のオリムが興味津々で参加し、挙句施設の設計までやっている。

 その当人であるオリムが首都アデンにある『タイタン』に帰還せずに無断で放浪の旅に出ている事は、実は魔法部門で問題視されているのだがー。

 

 

 真夏の日差しはアデンの大陸全土を照らし続けている。

 グルーディン地方からケント領へと続く街道を歩く旅人が、ふと足を止めて振り返った。思ったように成果は出ているようで、本人の顔は満足気である。

 《ー・・・リム。聞こえる?》

 耳の奥に直接響いた声に聞き覚えがあった。

 《やあ、セマ。元気そうでなによりだね》

 《ーなによりだね、じゃないわよ!どれだけの時間を連絡無しだったと思ってるの?!》

 《どれだけ、って・・・あれ?そんなに時間経ってた?》

 一瞬呆れ顔のセマの顔が浮かんだ。大気に満ちる魔力を伝って会話する念話ーささやきーの向こう側で、きっとセマはその表情をしているだろう。事実、足りないのはため息くらいのものだ。

 《ーとにかく!すぐに戻ってきて!》

 わかった、と伝えかけたオリムの念話を、《ー今すぐよ!今!》と強制的に打ち消したセマの声は、もはや怒鳴り声にも近かった。