雪原の大賢者 ーアデン戦国記異聞録ー 

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 今すぐにでも飛び出して行きそうなカスパーをセマが押さえ込み、現状出来ることの確認をした後、行動に移すことにした。

 メルキオールとセマは抱えている魔法研究に一区切りつけなければならなかったし、半年の間行方不明だったオリムは『タイタン』代表のタラスはじめ、あちこちに言い訳と報告をしなくてはならない。どちらも数日は要するであろう。

 自由に動けそうなのはバルタザールとカスパーの二人だが、「魔なる聖典」探索と言っても、何処を目指せばいいのかの見当もついてないのが現状である。情報量が足りないのだ。結局カスパーは日記の出処を突き止めるべく再び古書店の閑古鳥へと赴く事にした。バルタザールは日記に何か目的地などの手掛かりがないか、記された内容を細かく調べる事になった。

 だが、それぞれの胸の内は未知なる発見に向けて、高鳴りを感じていた。

 さもそれらしく作られた宝の地図や古文書の類は、腐るほど目にしてきた。興味を煽り、人の探究心を擽る内容で、素人目にも胡散臭いものばかりである。だからこそ、逆に魔法や権力抗争などに縁遠い、物知らぬ若き召使の日常を綴った日記に突如現れた「魔なる聖典」の文字は、信頼に値する可能性が高いと判断されたのだ。

 とはいえ、六十年前のものである。

 娘が仕えていた貴族といっても、特定するのは容易ではない。何代にも渡り高貴な位にあるものから召使を雇う財産さえ持たない下位のものまで、この首都アデンでさえ把握しきれるものではない。しかも、名乗るだけでいいなら誰しもが貴族足りえるのだ。名ばかりの貴族や、没落し忘却されたものまで。それがアデン王国全土にまで範囲が広がるのだ。闇雲に当たって砕けろ、では人生を三度繰り返しても見つかるものではないだろう。

 バルタザールが引き受けた作業が、一番重要であった。

 日記の持ち主は、非常に真面目な性格であったらしい。教育はそれなりのものを受けていたようで、文字はとても読みやすく、美しい。

 物心ついた頃から書き始め、この日記で五冊目になる、というところから最初の文章は始まっていた。年齢は十五になったらしい。それなりに裕福な商家の娘であったようだが、父が商いの旅の途中で怪物に襲われて亡くなり、兄が商売を引き継いだ。だが、兄は父ほどの商才がなかったらしく、維持する事すら難しかったらしい。

 亡くなった父の友人に頼んで召使の職を探し始めたのは、そんな家庭の事情を考慮した彼女自身の考えからだったようだ。

 「なんだか、気が引けるなぁ」

 日記の頁を丁寧に読みながら、独り言を口にした。

 手にしているのは、見ず知らずの誰かが書いた日記なのである。六十年の月日が経過しているとはいえ、他人の日記を読むという行為そのものが奇妙な罪悪感を感じさせるのだ。人間としてしごく当然の感情である。

 だが、それでもこの日記を読まなければならなかった。「魔なる聖典」へと繋がる手掛かりを何でもいいから見つけ出さなければならないのだ。その使命感をもって抱え込んだ罪悪感を緩和させながら、日記を読み続けていく。

 必要そうな部分は別紙に書き取り、情報を整理していく地道な作業であるが、不思議な事に魔法の研究をするよりも集中しているようだった。

 

 アデン図書館の三階の奥にある部屋の扉をノックし、中からの返答も待たずに扉を開ける。大きめの部屋の造りであるが、これといった装飾はされておらず、殺風景という言葉がよく似合う。

 窓の近くに置いてある椅子だけは、座り心地の良さそうな高価な雰囲気を漂わせている。これは前の代表が好んでいた椅子である。

 無言のまま部屋に入ってきたオリムを、タラスが振り向いて迎えた。

 ゆったりとした魔導着はタラスが好んで着るもので、色は概ね青みがかった白色のものだった。これはエルフ族の持つ織物の技術が活かされたもので、特注品でもある。

 「本当に君はハイネの頃から変わらないですね」

 片方の眉を少しだけ上げて答えとするオリムを見て、タラスがため息をひとつ落とす。

 腰まで伸びた美しい金髪が、タラスの動きに伴って左右に揺れた。

 「君は、王様や私に小言を言われるのをわかっていても連絡さえしなかった。それだけの、何かしら価値のある成果を得た。そう思っていいのかな?」

 「それに対しどんな価値を抱くのか、は人それぞれかと思います」

 ふむ、とタラスは顎に右手を当てて、オリムの言葉を聞く。

 半年もの間行方不明であった事自体が、オリムにとってはとても興味を引く何かを発見したという事実そのものを指し示す。

 その上で、彼の今の表情は普段と変わらないものだった。何を考えているのかわからない。だけど、呆けているわけでもない。その眼の奥には目指すべき何かが見えているのだろう。そして、意識が常にそこへ向かっている。彼の眼にそういったものを感じるのは、ひょっとしたらタラスだけなのかもしれない。

 「では、君はこれにどんな価値を感じるんだろうか」

 袖の中から取り出した包みをオリムへと差し出た。

 受け取ったオリムが、タラスと包みを交互に見ている。

 「あの方から君宛に届いたものだ。中身は見ていないよ」

 一瞬、オリムの眼に感情が走った。

 それは憎悪だったかもしれないし、単なる驚きだったかもしれない。

 「・・・ハーディンが・・・私に?」