読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雪原の大賢者 ーアデン戦国記異聞録ー 

      1-1

 

 今年の暑さは例年を遥かに超えるもので、何をするにも滴り落ちる汗との格闘となり、見上げる度に照りつける太陽の輝きは、その強さを増していくばかりであった。

 そんな中、恒例となったケント領主催による大陸武闘大会が大盛況のうちに終了し、本格的な夏という季節を迎えようとしている。

 大陸の大半を占める王国アデンーその首都は国名そのままを使われており、日々多くの国民で賑わっている。貴族の家も多数存在し、毎日のように何処かしらで舞踏会が開催されている優雅な一面が大概の印象ではあるが、光あれば影があるように、都会の闇のような面も、このアデンには存在している。もちろん、首都に限った話ではないのだがー。

 スラム街、と俗称のついた首都アデンの影は、文字通りの貧困街に相当する。貴族達が闊歩する表通りからは想像もしにくいのではあるが、ここでは日々の暮らしが生きるか死ぬか、とまるで街の外の森に住むかのような危険性に満ちている。ぽっかりと空いた地下へ続く階段は首都の下水道へと続いているが、その先には普通に怪物達がうろついているのだ。毎年の行方不明者の三割はこの下水道付近で消息を絶っている事から、住民からは封鎖の申請が幾度となく出されているのだが、衛生上や下水道管理のためには封鎖は出来ない、という見解から願いを聞き入れられる事はなかった。

 スラム街の中でも表通りに近い目抜き通りー露店道ーには屋台が並び、付近の住民が生き延びるために商売をし、飲食を済ませている。生活用品から食料品、不要になった家具や時には武器や装備までも、様々な露店が立ち並ぶ。

 その中でも、特にここでは人気がない店のひとつ、古書店「閑古鳥」から鼻歌混じりで出てきた青年は、瞳を輝かせながら手にした数冊の本を見た。

 その中の一冊は古めかしい表紙で、どうやら誰かの日記であったらしい。店主は誰から買い取ったのかも定かじゃないな、というと、それでも法外な値段を突きつけてきた。そこを言葉巧みに屁理屈を捏ね回し、最後には国家を敵にする覚悟があるのですね、と脅すところまでいって、店主が手を上げて降参した。結果、二束三文の値段まで落ちたその本を手に、青年はアデンの表通りから聖堂の裏を抜けて、城壁の南門の近くにある大きめの建物へと入っていった。

 入り口には「アデン大図書館」と書かれた看板が下げられている。

 地上三階、地下一階の造りであるこの図書室は築二十年を越えているが、度重なる改修工事によって、今も堅牢な造りを保っている。アデン王国内にて発刊された書物のほとんどが集められており、地下と三階の一部以外は一般にも開放されている。持ち出しこそは禁止されているが、国民であれば誰であろうと利用することが出来るのは、現在のアデン王コーラス・サードの后の嘆願によるものであった事は、国中が知っているところである。

 青年が三階にある一番奥の部屋へと続く廊下に着くと、両側から長槍が飛び出して、青年の足を止めた。

 長槍を手にした衛兵が、青年を見下ろして小さく声を上げる。確かにカスパーは少し小柄ではあるが、この衛兵二人が身長が高く、しかも軽装とはいえ武具や防具を装備している為か、比べるとカスパーが子供のようにも見えるのは致し方がないであろう。

 「これは、カスパー様でしたか!失礼いたしました!」

 そう言って姿勢を正し、両脇に立つ衛兵は通路を開けた。

 どうも、と頭を小さく下げて、その廊下を進んだカスパーが、突き当りにある大きな扉の前に立った。

 ー魔法研究機関「タイタン」ー

 国家が設置した魔法という存在を確認、研究する目的で、魔法が使えるエルフや人間が中心となって結成された機関であり、優秀な錬金術士や魔法使い、エルフが多く在籍している。権限もかなりの範囲で許されており、その研究成果は結成から百年の月日を迎えても尚、新たな発見が増え続けている。

 扉を勢いよく開いてカスパーが中に入ると、何やら刺激的な香りが漂っていた。

 「おい、それには手を出すなよ?メルキが仕入れてきたとびっきり貴重な豆を使ったやつだから、勝手に飲むと新しい魔法の実験材料にされちまうぞ」

 ちょうど通りかかったバルタザールが、手にした資料からカスパーへと視線を移して忠告を促した。何故なら、彼自身が先にメルキオールにこっぴどく怒られたからなのだが。

 「教えてくれてありがとう、バルタザール」

 にこやかに答えて、カスパーが自分の研究机へと向かう。

 「掘り出し物でも見つけてきた、て顔してるわね」

 今しがたバルタザールが注意を促した珈琲に手を付けながらセマが問いかけた。

 おい、と言いかけたバルタザールだったが、片手でそれを制し、

 「私はちゃんと許可をもらってるの!」

 と、したり顔でセマが言った。

 本当かよ、とぼやいたバルタザールだったが、彼の見解は正しい。セマはメルキオールの許可などもらってはいない。問題になったら、研究中の題材の手伝いを理由に説き伏せるつもりだったのだ。

 ちらり、と自分より奥の位置にある机を見る。そこにいるはずの人物は半年ほど前から不在のままである。

 「現場を視察するだけだったら、瞬間移動の魔法ですぐなのに・・・」

 「ふだん引き篭もりだから、たまには外を歩くのもいい、てオリムが言ってたから。今頃はどこをふらついてるのやら・・・」

 手にした珈琲を口にして、美味しい、とセマが言った。

 夏を迎えたアデンを、少しだけひんやりとした風が吹き抜けていくのを感じる、そんな午後であった。